コミュニティの力
Kuro(青山)です。最近ブロックチェーンがメインの生活を送り、少しずつブロックチェーンの専門家の道を登っていっているのですが、実は「コミュニティ形成」というものにも強い興味を抱いてます。
情報過多な現代社会において、人々はあまりにも多くの情報にリーチすることができてしまい、疲れ果てていると考えられています。「自由と安定」というキーワードを元に、このことについて考察したいと思います。
自由と安定には、ある一定の範囲において負の相関があると考えられます。それは、直感的にも納得することができるのではないでしょうか。フリーランスと会社員、大手企業とベンチャー企業。自由と安定の間には多かれ少なかれトレードオフの関係があると考えることができると思います。
さて、現代社会においては情報発信の自由度が高まると共に、情報を取得する手段の自由度も格段と高まりました。以前であれば、新聞、ニュース、ラジオなど、情報発信の媒体は限られており、それらの情報をキャッチアップしていれば情報力において大衆と肩を並べることができていました。しかし、今は個人のレベルで情報を発信できる時代です。皆が肩を並べて同じ情報を獲得していく時代ではないのです。情報過多の時代において、人々は情報に対する安定を失ったのです。
自由と安定、その間での急激な変化に人はすぐには対応できません。情報が安定していた時代から、情報の自由度が急激に高まった現代への遷移は人々にとってはあまりにも急であったのです。巷に転がる情報を一つ一つ吟味し、その付き合い方を模索していくことに人々は疲れ始めているのです。極端な例では、特定の個人が発した情報を妄信的に信用する「信者」なる人々も現れました。
このような現代社会において、「コミュニティ」の役割は大きいと考えられます。自分の属するコミュニティから発信される情報は、ある程度の信頼を持って接する事ができます。情報の吟味にかかるコストを軽減させるのです。「コミュニティ」は行き過ぎた情報自由を幾分情報安定に揺り戻す重要な役割を果たすと僕は考えます。
「コミュニティマーケティング」という考え方も生まれました。自社のサービスとはある程度独立したところに、自社サービスの領域に関わる、自走するコミュニティを作ってしまうのです。コミュニティの需要は高まっていますので、同じ理念を有する人を集めることができれば、コミュニティは成長していきます。情報過多の時代において、メディアを通した一方的な情報発信にはアレルギー反応を示す人々も、自分の属するコミュニティから得られる情報であれば受け入れる事ができるかもしれません。(そういった意味では今後、自社メディアの代わりに、自社コミュニティが重宝される時代が来るのかもしれません)
「コミュニティ」は事業活動において、会計上計上されないものの、非常に重要な資産の一つであると考えられます。(コミュニティマーケティングが成功した事例としては、よくJAWS-UG(Japan Amazon Web Service User Group)が挙げられます)。
価値あるコミュニティの作り方、コミュニティの成長のさせ方、事業とコミュニティの関係作り、コミュニティとブロックチェーン等、勉強すべきテーマはまだまだ多いですが、コミュニティをテーマに考察を深めている次第にございます。