幸せについて考えてみた
今日ははクイックでお散歩
普段散歩をするときは
何かテーマを決めるのですが
今回は特にテーマを決めていませんでした
今回は、歩きながらなんとなく
「幸福」について考えていました
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幸福は僕にとっての永遠のテーマなのです
そもそも僕は Self Satisfaction が
異様に高いため
基本的に不幸を感じることはありません。
それでもまだまだであると感じていま
幸せな人と不幸せな人の違いは何なのか
色んなことを考えながら
人生の行動の指針を立てているのです
今回の散歩では、その「幸福」について考えていました
最近味わって食べることを意識しています
例えば僕は甘いものが大好きなのですが
じっくり味わって食べるとそんなに沢山は食べられません
味覚嗅覚を研ぎ澄まして食事をすると
ある一定以上の量は苦痛になるのです
そうなると、単に甘いものを沢山食べるのではなく
香り高いコーヒーが欲しくなったり
フルーティな紅茶が欲しくなったり
別の味覚嗅覚を求めるようになります
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幸せも似ているのではないでしょうか
身の回りにある幸せ
自らの手で勝ち取る幸せ
色んな幸せがありますが、
その感度こそが大切なのではないでしょうか
じっくりと今体験している幸せを感じていると
沢山のものを求める必要は無くなるのではないでしょうか
注意すべきは味覚が麻痺して暴食するように
幸せの感度が下がり、より多くを得ようとする
負のスパイラルに陥ることではないでしょうか
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幸せの感度を高めると
自分一人が幸せでいることは
ほんの少しの努力で達成できるかもしれません
自分一人の幸せなんてすぐに
お腹いっぱいになってしまうのです
その時その上に幸福はあるのでしょうか
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幸福とは生きるための営みです
同時に幸福とはヒトという種を
存続させるための営みです
人は幸福のために行動します
それは生物界のしきたりに従うと
種を存続させるための行動なのです
その行動をとることができるように
プログラムされた者だけが
厳しい生存競争を生き残ってきたのです⠀
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それではヒトという種族が
生き残るための行動とは何なのでしょうか
自分を生かすことです
家族を生かすことです
そしてコミュニティを生かすことです
これか遂行できる者のみが生き残ってきたのです
それこそが我々なのです
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だから人の幸せもそのようになっているはずで
まずは自分を幸せにする
その次に寝食を共にする家族を幸せにする
そしてコミュニティを幸せにする
この欲求を適切な順番で満たしていくことで
人は幸せの最適解に向かって行くのではないでしょうか⠀
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矛盾するようですが
人が自分の幸せだけを追い求めることによって
到達することのできる極地は
幸せの極所解なのです
一人で到達できる幸せには限界があります
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人は幸せの感度を高めることで
自分を幸せにしお腹いっぱいになり
家族を幸せにしお腹いっぱいになり
社会を幸せにしていく
これこそが幸せへの王道なのではないでしょうか⠀
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決して幸せの極所解に陥らないように
今後の自分の生き方の羅針盤を
作り上げていきたいと思います
何が言いたいかというと、とどのつまり、僕は自分は幸せにできているので、そろそろ次のステージに移りたいわけですが、いきなり社会という大きな枠組みに対してアプローチするのでははなく、まずは手の届く範囲の人たちを何とかしたほうが良いのではないかということを考え始めたわけです。
そんなことを考えながら生きております。
要するに、いつも通りの僕です。